きものカオス

車の運転をしていたときの事です。信号待ちをしていて、青になったので、走り出しました。交差点を突っ切ろうとして、交差点中央まで来たときに、向い側の歩道を歩いて来た小学生が、横断歩道の前に立ち、その子側の信号機は真っ赤に光っているにもかかわらず、思いっきり手を上げました。

信号のない横断歩道で手をあげるのは子供らしいし、青信号でも手を上げて渡る子はいますが、普通の子は赤信号で手を上げたりしません。その、ありえない行動に一瞬、頭が混乱しました。でも、急ブレーキを踏むまでには至らず、通り過ぎることができました。

この子はバカなのか?と横目で見た顔は、日本人でないような、ご両親共に外国の方ではないかと想像する顔だちで、背の割に低学年だったのかもしれません。あの子はバカだったのか?ただのイタズラ坊主だったのか?それとも、あわよくば、車を止めてやろうとした要領のいい子だったのか?などと考えてしまいました。

両親がほとんど日本語を話せない子でも、ネイティブな日本語を話す子も多いですが、気持ちは分かるけど、文法がめちゃめちゃのヘンテコな日本語を話す外国人も多いです。あの、手を上げた少年も、その類だったのではないか?という結論に至りました。「手をあげる」という行動の間合いを間違えていたのだと(勝手な決めつけ)、、。でも、それを間違いと思うのではく、色々な使われ方を受け入れていくのは楽しいのかもしれません。

話は変わりますが、京都の清水寺〜高台寺〜八坂神社あたりでは、連日、仮装行列の様なレンタル着物姿で賑わっております。普通の着物では、あまり行きたくないエリアでもあります。あの方々は、レンタル屋さんのお姉様方が、着物を全くわからない人にも、襦袢を着せて、着物を着せて、羽織を着せて、寒いときはショールを掛けて送りだしているから、柄や素材はモノすごくても、一応ちゃんと着ています。だから微妙に気持ち悪いのですが、そこまで面倒を見ずに、自分たちの好きな様に着てもらう様にしたら、とんでもない着方が生まれるのかもしれません。ある意味で着物がアップデートして、世界的な飛躍をするのかもしれません。そんなカオス状態になったら、普通の着物で行っても良いかなと思います。

 

ゆきすぎたゆきはゆきません

少し前まで、袷の時期らしくなったかな?思いきや、一転、暑いです。クリスマスグッズも出ているのに、まだまだ麻襦袢が手放せません。麻といっても絽麻じゃなくて平織りですので、「夏物!」というツッコミはありません。

ところで、着物はアバウトな服です。と思われております。確かに、身幅の融通うの効き方は素晴らしいです。特に「おはしょり」を作って着る場合には身丈の融通もけっこう効きます。

着物ばかり着て、暴飲暴食を繰り返していると、久々に洋服を着ようとしたときには、すっかりズボンが履けなくなっていますし、背広もパンパンで着られず、結局また着物を着るしかない。着物で過ごしながら、ダイエットをして、洋服に合わせた。という時期もありました。最近も、ちょっと、やぶぁいです。

と、横道にそれましたが、身丈や身幅はいいとしても、裄(ゆき)はそういうわけにはゆきません。着物の寸法は襦袢と羽織、コートの寸法に影響します。身丈や身幅は多少合っていなくても、襦袢や羽織を合わすことはできますが、裄はできないのです。

洋服は上着の袖からシャツが出ているのが普通ですが、着物の袖口から襦袢がでるのはNGです。ただ、短いじゃだめで、ちょうどよく短くなければいけません。女性ものは袖と見頃の間には生地が繋がっていない部分があるので、襦袢の肩巾(裄は肩巾+袖巾です)が着物より短いと襦袢の袖がたもとからはみ出します)

襦袢の裄が長いからといって、袖山のどこかをつまんで縫ったり、テープで止めたりする方もいらっしゃいますが、袖をつめるか、肩の方をつめるかも考えないといけません。古着屋さんなどでは、寸法の合わない着物と襦袢を合わす裏技?として、袖付けの下あたりを糸で止めてあったりします

丁度良い裄って、どのくらいなのか?理想は襦袢、着物、羽織と着たときに、袖の先(袖口)で全ての袖口の端がビシッと合う事と思うのですが(諸説あり)、そうなっていると、袖口の汚れは襦袢にしかつかないことになります。

でも、現実的には全ての見た目の裄を合わすことは、かなり難しいです。襦袢の上に着る着物は上になる分、少しだけ長くしないといけませんが、生地質によって着たときに生地の重さでタレる度合いが1つ1つ違うので、何回か仮縫いを繰り返さないといけないし、着かたや、素材の組み合わせによっても変わってきます。

なので、襦袢と着物の組み合わせを変えても、袖口から襦袢が飛び出ない様に、襦袢の裄は着物よりも2〜3分(約1cm前後)短く作ります。この約1cmという違いが大切で、アバウトに考えてしまうと、かっこ悪い着方になってしまいます。色々な呉服屋さんで、寸法をお任せで作っていると、裄や袖巾がバラバラになってしまうという自体にもなりますので、ご自分の寸法を把握しておく必要もあります。

裄ほど寸法の違いは目立ちませんが、袖丈も、着物と襦袢では1cmほどの違いでつくります。袖のたもとで、襦袢、着物、羽織、コートの長さがビシッと合っているのは当たり前ですが、当たり前の事ができている着姿は美しいです。

 

はおらんどう

冷えてまいりました。屋内に居るときにも単衣の羽織を着ていても快適です。少し体を動かす作業をすると、暑くなり、羽織を脱いで、温度調節しています。便利な羽織です。単衣と袷の羽織を使い分けて、変動する気候に対応しています。

これから寒くなるので、今月は羽織もののご提案会などを予定しております。羽織ものというのは、羽織だけでなく、コートや道中着も入ります。羽織ものの楽しみの一つに裏地があります。裏地のつく羽織ものは袷の羽織ものです。

コートや道中着は基本的に屋内に入れば脱ぎますし、羽織は気分で脱いでも脱がなくてもいい便利なアイテム。その、脱ぐときに、裏地が見えます。羽織ものの裏地の事を「羽裏(はうら)」といいます。この裏地には色々なものがございます。

表の生地は無地でも、裏地にはとても華やかな柄というのも「あり」で、そこに遊びごごろを付け加えたりして、脱ぐという平凡な行動の中にも楽しさを味わうことができます。もっとも、女性ものは、袖の後から裏地がチラリと見えることもありますし、羽織では、衿もとに裏地が少し見えることもあります。その少しだけ見える羽裏も色合わせのアクセントになって面白いです。

当然、脱いだ羽織ものの中からは着物や帯が登場し、帯や帯〆や帯揚や羽裏やら、周りの方は目がとても忙しいことになるのは言うまでもありません、、。

背中にだけ、大きな柄を描く羽裏は、特別に「額裏(がくうら)」というものになり、普通の裏地にある背中心の縫い目がなく、背中いっぱいの大きな生地に柄を描きます。この場合は、完全に脱がないとその柄を知ることはできません。まさに秘めたる柄です。

倹約令があった江戸時代に、贅沢な柄を裏地に隠して楽しんだのが起源で、それが、「裏勝りの美学」というものに進化したと言われております。隠れたオシャレです。

そんな、羽裏を今月はサービス、サービスゥ!いたします。

と、羽織ものを礼賛している私ですが、先日、あるお客様は、羽織らない主義=「羽織らん道」を貫いていらっしゃいました。どんなに寒くても帯付きで行く。防寒は内側にするのだ。というわけです。そのココロは、京濱の綺麗な着物や帯を世間に見せなくては勿体無い。、、、ありがとうございます。